牧師メッセージ

7月26日(日)聖霊降臨節第9主日礼拝説教「失うものはない。」

更新日: 2020.07.28

聖霊降臨節第9主日(2020.7.26)礼拝説教     伝道師 山内慎平

イザヤ書43章1~13節、使徒言行録27章33~44節

牧会祈祷
命の源である神さま

 今日も聖霊降臨節第9主日の礼拝へと招かれ、この会堂、家庭それぞれの場所からあなたの恵みを分かち合い、祈りをともにささげられますこと、心より感謝いたします。

 私たちは自分の気にいることしか聞かず、あなたが語りかけられる真実の言葉に心と体を向けていなかったことに気づかされます。あなたからの赦しと導きを求めます。今、私たちが聖霊によって整えられ、あなたの真実の御言葉を受け入れることができますように。

 あなたが愛される世に建てられた神戸栄光教会に連なる方々のことを覚えて祈ります。私たちは先日、信仰の友を御元へと送りました。その生涯をあなたが守り、導いてこられたことを感謝します。この死を悲しむ人々にあなたからの慰めがありますように。葬りの式のことを覚え、それぞれの場所で祈りをささげました一人一人を省みてください。

 今も、入院しておられる方、様々な事情で弱さを覚えている人たちにあなたからの平安が与えられますように。そして、その人たちを覚えて祈ります一人一人をあなたが守り、支えてください。

 私たちはあなたに息を吹き込まれ、この地上の世界で生きる者となりました。しかし、あなたから与えられた命が悪意や無関心、誤解によってその輝きを奪われています。病気だから、障がいがあるから、弱いから。そのような無理解にさらされ多くの人々が苦しんでいます。主よ、私たちから悪意や無理解を退けてください。そして、和解の御手を差し伸べてくださいますように。あなたによって生かされています私たちが共に生きている人々とあなたに心を開き、真に生きる者としてくださいますように。

 この感謝と祈りを一人一人の祈りに合わせて、主イエス・キリストの御名によってお献げいたします。

説教 「失うものはない。」
 海、水というのは私たちに食料や飲み水としていのちを与えるものであり、また同時にいのちを危険にさらすものでもあります。
 今でこそ、船での旅はある程度安全で快適なものになっています。しかし、聖書で語られる当時の船旅は、太陽や星といったわずかなものを頼りにしていました。そのため、船旅は今よりもはるかに危険に満ちているものでした。
 船を教会に、船での旅を人生に重ね合わせ、いろいろな意味を込め、聖書で語られることもあります。今日のパウロの船での旅はどのようなものであったのかを見つめていきたいと思います。

 パウロは皇帝への上訴のために、数人の囚人と共にローマへと護送されます。このローマまでの航海には多くの困難がありました。向かい風や逆風により思うように船は進まず、「良い港」と呼ばれる所に着くまでにかなりの日数が経過していました。そして、パウロ一行は航海するには危険な時期である冬に突入してしまいます。しかし、船長や船主は停まった港が冬を越すのに不向きであるという理由から、冬を越すの適している港へ移動しようとします。この移動に対して、パウロは危険だと言い反対します。しかし、一囚人であるパウロの意見は聞き入れられず、船は移動を開始します。
 出港してまもなく船は暴風に襲われます。船は目的地から離れ、流されるままとなります。暴風はあまりに激しく、乗船者は船の積み荷や船具を捨てないといけないほどの危険な状態になりました。その危険な状態からすでに14日間経過しているのが今日の箇所です。
 パウロを含めた船に乗り込んでいる人々はあまりにも厳しい状況に置かれています。

 この危険な状況の中でパウロはどのように行動したのでしょうか。パウロは嵐によって漂流してしまった中にあって、「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません」(27:21)と言います。自分の忠告を聞かずに船を出した人たちへの嫌みにも思える言葉です。しかし、パウロは嫌みを言っている訳ではありません。パウロはその後で、「今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はない」(27:22)と語ります。船に乗っている人たちに安心しなさい、と励ましの言葉を語ります。
 また、船が陸地に近づいてきたことを感じた船員たちが自分たちだけ小舟に乗って逃げ出そうとします。パウロがそのことに気づき、船員の逃亡は未然に防がれます。ただでさえ、危険な状況であるのに、頼みの船員までいなくなったら、パウロたちは助からなかったでしょう。
 そして、今日の箇所でパウロは船に乗っているメンバーに食事をすることを勧めます。パウロがパンを取って神さまに感謝の祈りをささげて食べる姿を見て、船にいた人々も元気づけられ食事をします。14日間も不安のために何も食べずにいた人々は食事によって力をつけました。この後、船は壊れ、船に乗っていた人々は泳いで上陸しなければならなくなった時、食事をして力をつけていたおかげで、皆は救われたと考えることもできます。
 船が座礁し、兵士たちは囚人たちが泳いで逃亡しないように殺してしまうことを考えます。しかし、パウロを助けたいと思っている百人隊長は、この計画を思いとどまらせます。間接的かもしれませんが、パウロによって囚人たちは命を救われます。最終的に、船に乗っていた全員がこの危険な状況から生き延び、救われました。パウロは命が危機にさらされている中にあっても人々を励まし、力づける行動をしていました。

 パウロがこのように行動できたのはどうしてなのでしょうか。絶望的な状況にあって、それでも「だれ一人として命を失う者はないのです」(27:22)、とはっきり語ることができたのはなぜなのでしょうか。
その理由が今日の箇所の少し前の23-24節で語られます。「わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』」パウロの確信の理由は、天使の語った言葉、神さまからの御言葉です。
 この御言葉は、パウロに「あなたは皇帝の前に出頭しなければならない」と語ります。パウロは「しなければならない」のです。それは、神さまがもうそのことを決めており、必ず実現することを意味しています。パウロはローマまで行き、皇帝の前で福音を語る使命が神さまから与えられています。その使命が全うされるまで、どうなろうが自分は死ぬことがないと、確信していました。
 また、「神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ」とも語られます。この言葉は、パウロと共に船に乗っているすべての人が助かるという約束です。使命を与えられているパウロだけではなく、船に乗っている、イエス・キリストのことを知らない人々も、神さまは救い出すと語る言葉です。「あなたに任せてくださった」という言葉は、元の言葉を直訳すると、「賜物として与えられる」という意味です。神さまが共に航海をしている人々をパウロに与えてくださっています。この約束のために、パウロは「だれ一人として命を失う者はないのです」とはっきりと語ります。パウロは語られた御言葉に基づいて行動していました。
 今日読まれた旧約聖書イザヤ書も神さまの救いの確信を持って語られた箇所です。国を失い捕囚の民となったイスラエルの人々へ、苦しみの向こうに破滅ではなく救いが約束されていることを告げています。その確かさの根拠として、「わたしの目にあなたは値高く、貴く わたしはあなたを愛し」(イザヤ書43:4)という一文が語られます。多くのものを失い絶望の中にいるイスラエルの人々を、神さまが愛をもって見守っており、人々のありのままの姿が、神さまの目には高価で貴重なものであるという約束の言葉です。この神さまの慈しみから来る救いの約束を受け入れる時に、イスラエルの人々は水の中であろうと、火の中であろうとも歩くことができ、現実において神さまが働かれていることを目にすることになります。パウロもまた、御言葉を信じることで、嵐の中、希望がないと思える状況にあっても、「恐れるな」と語りかける神さまの御言葉は必ず目の前の現実を越えて、実現すると信じていたのだと思います。

 私たちの信仰の歩みも、パウロの船旅のように様々なことが起こります。順風満帆な時、嵐によって思いもよらない所へ流される時、星も何も目印になるものが見つからず、自分がどこにいるのかもわからなくなる時。そのようなことが起こってきます。その中にあって、私たちを支え、励ますものが御言葉なのだと、今日のパウロの航海の物語から思わされます。
 パウロは、「わたしが仕え、礼拝している神からの天使」から御言葉を受け取ったと語りました。パウロは嵐の中にあっても、礼拝していたと思える発言です。パウロは危険の中にあっても、御言葉を求めて祈っていたのだと思います。そして、天使を通じて御言葉が示され、パウロは確信をもって行動したのではないでしょうか。
 また、パウロは2週間も何も食べていない人たちに食事をすることを勧めました。その時、パウロはただ勧めるだけではありませんでした。神さまに祈り感謝してパンを食べる姿を見せました。パウロのこの姿は、パウロの信じている神は、嵐の中、危険の中にあっても、必要なものを与える方であることを人々に示し、また、人々はパウロの神さまに対するその絶対的な信頼を見て、力づけられ、救われました。神さまの力は、パウロのような御言葉を慕い求める行為を用いて働きます。
 神さまがパウロに船に乗っているすべての人を任せたように、神さまは私たちにもそれぞれの場、家庭や職場や学校で共に生きる人たちを与えてくださっています。そして、その共同体に立てられている信仰者に与えられている恵みが、周りの人々にも及んでいます。信仰者と共に生きる人、一人一人を神さまは恵みの対象として見つめていてくださいます。私たちの信仰の歩みもまた、神さまが私たちと共に生きる人々に恵みをもたらす機会として用いてくださいます。
 その信仰の歩みは何か特別なものではありません。パウロがしていたように、日常の信仰の行い、御言葉に聞き、祈るという素朴な行いをすることです。また、嵐のような危険の中にあっても行うという忍耐も必要な行いです。失うものはないという確信の内にある行いです。数が少なくあろうとも信仰者として立てられていることによって、周りの共に生きている人々が神さまの目に値高い者とされ、祝福にあずかっていくことは大きな恵みです。この恵みを覚えて、どのような時にも神さまを求め、祈る歩みを進めることは、神さまの恵みに満ちた歩みとなります。

神さま
 あなたは慈しみと愛をもって、わたしたちを値高く、貴い存在として見つめ続けていてくださいます。わたしたちがあらゆる可能性を絶たれ、不安、絶望の中に置かれてしまっても、あなたの救い、御言葉を信じ、私たちが共に生きているすべての人々と、与えられている恵みを喜びの内に、感謝をもって分かち合うことができますように。

 この祈りを主イエス・キリストの御名によってお献げいたします。アーメン。

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