牧師メッセージ

9月27日(日)聖霊降臨節第18主日礼拝説教「住まわれるキリスト」

更新日: 2020.09.30

聖霊降臨節第18主日(2020.9.27)礼拝説教     伝道師 山内慎平
歴代誌下7章11~16節、エフェソの信徒への手紙3章14~21節

牧会祈祷
 恵みと憐れみに富みたもう主なる神さま
 聖霊降臨節第18主日、あなたがわたしたちをこの場へと招き、共に礼拝するときを与えてくださったことを心より感謝いたします。この礼拝を通して、わたしたちが御子イエス・キリストによって結ばれた者として、心を合わせ、声を合わせて、あなたを賛美し、あなたの栄光をあらわすことができますように。今、ライブ配信などを通じて、それぞれの場でこの礼拝の時を覚えて、祈りを合わせています一人一人の上にも変わらないあなたからの祝福が豊かにありますように。

 神戸栄光教会も9月の歩みを終えようとしています。この1ヵ月、わたしたちは長い間休止せざるをえなかった教会の集会、働きを再開することができるようになりました。再び、み言葉に聞き、祈りを合わせる交わりの時が与えられていますことを感謝いたします。そして、まだ再開ができていない教会の働きが再開されますよう、あなたが導いてください。

 わたしたちは突然、可能性を絶たれ、力を失う危機に陥ります。病、事故、災害などにより、生きる気力を奪われます。そのような中にあっても、あなたは一人一人に心を寄せて、救いの希望を指し示し続けていてくださいます。どうか、わたしたちを襲う暗闇を取り払い、ゆっくりと前へ進むように力づけてください。

 この時も様々な困難、苦しみの中にいる一人一人のことを覚えます。あなたがその回復への歩みをともにして、どのようなときも支えて下さいますように。あなたの励ましがありますように。そして、その人たちと共に生きる私たちが、あなたによって1つに結ばれている喜びを感じつつ、祈り支えていけますよう力づけてください。

 この祈りを、一人一人の祈りに合わせて、主イエス・キリストの御名によっておささげいたします。

説  教        「住まわれるキリスト」
 今日読まれました歴代誌下の箇所は、エルサレム神殿が完成し、神さまがソロモンに語り掛ける場面です。神さまはソロモンの祈りに対して、「この所を選び、……わたしの神殿とした」(歴下7:12)と言います。神殿は神さまに選ばれ、特別なものとなりました。神さまはさらに、「わたしは絶えずこれに目を向け、心を寄せる」(歴下7:16)と語ります。天におられる神さまが神殿において、祈りをささげる人々のために働かれ、いつまでも共にいて見守ってくださるという言葉が語られています。この神さまの言葉は、人々に神さまが共にいるのだという安心感を与えます。
 エフェソの信徒への手紙では、キリスト者の集まりである教会も聖なる神殿だと書かれています。エルサレム神殿は物質的なものでした。しかし、エフェソの信徒への手紙で語られる神殿たる教会は物質的なものではありません。

 エフェソの信徒への手紙において、教会はキリストの体であり、神の霊が宿る神殿のイメージで語られます。そして、その教会は、キリストによって、教会に属するキリスト者一人一人からなる、神の霊的な住まいであると語られています。エフェソの信徒への手紙では、神さまにつながる私たちも神殿を構成する部分であり、キリストの体の一部でもあります。教会のメンバー一人一人とイエスさまは別々の関係であるよりも、密接な関係にあることが分かります。そして、キリストの体である教会に神さまの力が現れるとも、手紙の著者は語ります。それは、キリスト者の集まりの中に神さまが働かれることを表し、神さまと人々の関係性はより近いものになった印象を受けます。
 この手紙で語られる神殿は、神さまが働かれるという点では同じですが、物質的なものではなく、キリスト者で構成される霊的なものです。これが新しい神様の住まいです。また、ユダヤ人が切望していた新しい神殿は、彼らが思いもしなかった新たな神の民を加えて作られました。ユダヤ人だけでなく、異邦人もその新しい神殿の一員、神の民に加えられました。

 キリストの体である教会につながる人々は、神さまに選ばれた民の一員です。今日のエフェソの信徒への手紙3:14以下は、パウロと呼ばれる人物のとりなしの祈りです。その祈りにおいて、神さまはどのような方なのかを知ることができます。まず、神さまは一致をもたらします。手紙のはじめに「御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています」(エフェ3:15)とあり、父なる神様と被造物の関係性が家族関係のように語られています。神様が名を与えるというのは、名を与えるすべてのものが神さまに由来することを表しています。そのため、その名を与えられている天にいる者と地にいる者はどちらも神さまに由来し、それは、神さまが天と地を1つに結ばれていることを表しています。地上にいるキリスト者が、神さまによって1つとされている神の家族の一員であり、神さまと親しい関係であることを知らされます。
 また、神さまは聖霊を通して、ユダヤ人と異邦人の区別を取り払い、全ての人を自分のもとに招きます。聖霊によって、神の民の一員であるユダヤ人と一員ではないとされていた異邦人の間に絆がもたらされます。すべての人を招き、救いに与らせようとするこの神様の本質は愛であると手紙の著者は言います。「憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛して」(エフェ2:4)くださる、そのような方だと言っています。そして、この神さまは予想もつかない愛を示しました。

 今日のとりなしの祈りの箇所に、人々が「人の知識をはるかに超えるこの愛」(エフェ3:19)を知るようにと祈られています。知識を超えるとは、人間には理解できない、いまだに人間が経験したこともないという意味です。そして、神さまはその知識を超える愛を、子であるイエスさまを通して示されました。イエスさまの十字架上での贖いの死こそが、知識を超える愛でした。
 また、とりなしの祈りには「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解」(エフェ3:18)できるように、と祈られています。キリストの愛の限りのない広さを表しているような祈りです。そして、わたしたちは知識を超える愛を示したイエスさまの十字架の道のりに、とてつもない高さを感じます。神の子という高い栄光のある地位でありながら、人となって地上に降り、罪人の一人として裁かれ、死なれたイエスさまの歩みには、天から地上、黄泉までと、とてつもない高さをもった愛があることを感じさせられます。あまりにも広く、長く、高く、深い愛をイエスさまは私たちに示されました。

 そして、愛を示されたイエスさまこそがキリストのからだである教会の土台であるとエフェソの信徒への手紙の著者は言います。そのため、とりなしの祈りで「愛にしっかりと立つ者としてくださるように」(エフェ3:17)という祈りがありました。愛を土台として立つことを言っています。そして、その愛は教会の土台であるイエスさまの愛です。
 愛にしっかり立つ者となるために、「心の内にキリストを住まわせ」(エフェ3:17)ることも祈られています。どのようにして、心の中にキリストを住まわせればよいのでしょうか。それは、愛に根ざした生活を行うことではないかと思います。隣にいる人、助けを必要としている人の友となったり、自分の持ち物を分け合ったり、外へと自分を開放するような生活がそうなのだと思います。

 しかし、キリストの愛に基づいた生活は時に、危機にさらされます。忙しさのあまり、他者のことにまで気が回らなくなります。無気力になり、何もできなくなります。病気やけがによって、突然に今までできていたことができなくなります。絶望感、不安、恐怖といった感情が心の中に湧き上がると、そういった思いに気をとられ、キリストの愛から離れてしまいます。
 しかし、困難と思える状況にいながらも愛に根ざした生活を続けることができる人もいます。神戸栄光教会には病気といった様々な事情で一時的に、もしくは長い間教会に通うことができない方がおられます。しばらく教会でお会いできていない方がお葉書やお電話をくださることがあります。そこでご自分の近況報告をしてくださいます。その中で、ご自分の不安や痛みなどをお話になったあと、教会のことを祈りに覚えてくださいます。その祈りに触れると、いつもこちらが元気をもらいます。同時に、自分自身が大変な状況にあって、どうしてこんなにも他の人のことを思えるのだろうかと、その強さに驚いてしまいます。自分が同じ状況なら果たして同じようにできるか不安になります。この強さの秘密は何なのでしょうか。
 とりなしの祈りに「あなたがたの内なる人を強めて」(エフェ3:16)くださいとありました。内なる人が強くされること、これこそが困難の中でも力強く、自由に生きる秘訣なのだと思います。この強さは人間の持っている力のことではありません。それは、霊により、上から与えられる力です。そして、それは「神にできないことは何一つない」(ルカ1:37)という確信です。どのような状況におかれても、わたしを強めてくれる方のおかげで、わたしにはすべてが可能なのだという確信を持っている人は、内なる人が強いのだと思います。

 このとりなしの祈りをしている著者はその確信を持っていました。いのりの最後で、「わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方」(エフェ3:20)と、言っています。著者は自分が信じ、心の中に住んでいる神さまがどのような方か知っています。その方は、内なる人を強くし、人を他者と共に生きる、愛に根ざした生活を送る者とします。そして、キリストの愛を知り、ついには自分が神さまの恵みに満たされます。危機や困難によって、私たちの心が空っぽになろうとも、神さまがその穴を、わたしたちのすべてを愛によって満たします。
 しかし、キリストの愛、また神さまをただ知識として知っているだけでは、キリストの体である教会を成長させることにはつながりません。そこには、やはり、愛が必要です。愛が教会を造り上げます。キリストの愛は図りがたく、人間にはその全てを理解することはできません。知るということは、知能や力ではなく、それにあずかるということです。はかり知ることのできない神さまの満ちあふれるゆたかさのすべてにあずかることこそ、教会を成長させ、その人を強くするのだと思います。
 心の内に揺らぐことのないキリストを住まわせ、一人一人がその愛に根ざして、他者と共に生きる歩みに、神さまが共にいてくださるという希望があることを信じていきたいと思います。祈ります。

 ご在天の主なる神様
 どうか、私たちの思いや求めのすべてを超えて、すべてのことをおできになるあなたの力への確信をお与えください。心の穴にあなたの豊かな恵みが注がれ、愛に根ざした生活を送り続ける者としてください。
この祈りを主イエス・キリストの御名によっておささげいたします。アーメン。

page top