牧師メッセージ

5月23日(日)聖霊降臨節第1主日 ペンテコステ礼拝説教 「こうしてはいられない。」

更新日: 2021.05.25

聖霊降臨節第1主日(2021.5.23)礼拝説教  伝道師 山内慎平
聖霊降臨祭・ペンテコステ
ヨエル書2章23節~3章2節、使徒言行録2章1節~11節

牧会祈祷
聖霊の送り手である神さま
 聖霊降臨節第1主日のペンテコステ礼拝に、私たちは集められています。あなたはこの世を愛し、この世の至る所に教会を建てられました。すべての教会が教会の誕生を記念する聖霊降臨祭の礼拝を守るために、あなたに導かれて御前に集い、祈りを共にする恵みを感謝します。
 ペンテコステの日、あなたは激しい風として、炎のような舌として聖霊を弟子たちに注ぎ、伝道と奉仕に生きる者へと創り変えられました。どうか、弱さや欠けのある私たちにも聖霊を注ぎ、あなたの御用のために用いてください。私たちの思いも、言葉も、行いも、あなたの力で満たし、周りに向かって開き、仕える者としてください。
 私たちは今、聖霊降臨の日の弟子たちのように大勢が一つになってその場で集まることができません。しかし、このペンテコステの日、あらためて聖霊こそが私たちを時代も場所も超えて結び合わせる主の絆であることを信じます。今も変わらず、私たちはあなたのみ言葉を必要としています。どうか、私たちに激しい風が吹き、炎が一人一人の上にとどまり、私たちを支配し、御言葉を語る者として送り出してください。
 今、この世界には様々な問題や不安、恐れがあります。命が失われ、安心して生活を送ることが出来ずに辛い日々を過ごしている人々がいます。この世界が、あなたの御手の力によって、平和へと導かれますように。
 この祈りを救い主イエス・キリストの御名によってお献げいたします。アーメン。

説  教        「こうしてはいられない。」
 ペンテコステを迎えました。「教会の誕生日」ともいわれる日です。ペンテコステの出来事はイエス様の死と復活と昇天の後に起きました。周囲の人々からすると指導者であったイエス様を失い、いつ散り散りになってもおかしくないと思われた弟子たちの集まりが、聖霊降臨によって、教会という形で続いていきます。その教会は世界の至る所にまで広がりました。ペンテコステの時、弟子たちは教会を造り上げる力をいただきました。その力が聖霊でした。今日は、不安の中にいた弟子たちを立ち上がらせた聖霊の力を共に感じたいと思います。

 イエス様が昇天され、10日後にペンテコステは起きました。使徒言行録ではこの10日の間、弟子たちは「婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた」(1:14)と、書かれています。
 弟子たちは復活されたイエス様に再会したのも束の間、イエス様は昇天され、弟子たちは再びイエス様が目の前からいなくなることを経験しました。恐らく、弟子たちは悲しみや不安の中にいたはずです。その弟子たちが集まって祈っていました。弟子たちがそのように祈っていたのは、イエス様が「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」(1:4)と語ったからでした。弟子たちはこの約束がどのようなものなのか詳しくは知りません。ただ弟子たちはひたすらにイエス様の語られた約束を信じて祈っていたのだと思います。
 ペンテコステが起こる時、弟子たちは一つになって集まっていました。また、ペンテコステの前の時にも弟子たち一同は一つになって集まっていました。おそらく、弟子たちは一つに集まって祈ってもいたと思います。この先、自分たちがどうなってしまうのかも分からない中で、辛抱強く弟子たちは祈っていたはずです。
 弟子たちが不安の中で、それでも祈ることができたのはイエス様への信頼があったからでした。弟子たちは復活されたイエス様に会いました。イエス様の死という大きな悲しみ、苦しみを経験した弟子たちに、イエス様の復活は希望を与えました。そのイエス様が語られた約束だからこそ、弟子たちは自分たちが置かれている状況もまた変えられるのだと、希望を持っていたのだと思います。
 そして、何も分からない不安の中で祈っていた弟子たちに、ようやく待ちに待った時がやってきます。弟子たちはまた新たに変えられることを経験します。
 
 五旬祭の日、ペンテコステの出来事が起こります。弟子たちが信じ、待ち続けていたその時がやって来ました。弟子たちが一つになって集まっている家中に、激しい風のような音が響き渡りました。ヘブライ語で「霊」を指す言葉は「風」という意味も持ちます。激しい風となって神様の霊は弟子たちを襲いました。弟子たちのいた家中に響き渡るほどの音です。相当な音量だったはずです。家にいた弟子たちは風のような音以外、他の音が聞こえなかったかもしれません。その家中に響くほどの激しい風のような音は天からの音でした。ペンテコステの時に、弟子たちの耳を支配している音は天からの音です。もはや、それ以外の音は聞こえません。
 さらに、「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」(2:3)ということが、弟子たちと集まっていた人々に起こりました。炎は、神様が人間の前にご自分を現される時に用いられるものです。そのため、炎のような舌を通して神様の力が人々に与えられました。炎のような舌によって、弟子たちは「ほかの国々の言葉で話し」(2:4)だしました。弟子たちは炎のような舌によって、口を、語ることを神様によって支配されました。それまでは、イエス様に聞き従ってきた弟子たちが今度は、自分が語る者となりました。弟子たちは聖霊に満たされ、聖霊が語らせるままに、話しだしました。
 ペンテコステが起き、激しい風のような音、炎のような舌を通して人々は神様の力を感じました。そして、神様は私たちの目で、耳で感じ取られるような仕方で働かれ、人々の耳も口も支配されました。
 約束の聖霊に満たされた人々が一斉に異なる国の言葉で話し始めた光景は、駆けつけてきた人々に様々な反応を引き起こしました。自分の暮らす国からエルサレムに巡礼に来ていた人々は「自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて」(2:6)驚いてしまいました。さらに、霊に満たされた人々が語っていたのは「神の偉大な業」(2:11)でした。人々はこれらのことに戸惑い、驚きました。一方で、そのあまりにも異様な弟子たちの姿に「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」(2:13)と、嘲る人々もいました。
 また、人々は聖霊に満たされた弟子たちを見て「皆ガリラヤの人ではないか」(2:7)と言いました。ガリラヤは預言者の出ないといわれる場所でした。そのため、人々が「ガリラヤの人ではないか」と驚き怪しんでいるのは、預言者が出ないと言われる地方の出身者たちが「神の偉大な業」を語るという前代未聞なことが起きているためです。「ガリラヤの人ではないか」と言う人々は、自分たちの基準で神様に用いられる対象を決めています。ガリラヤの人が神様に用いられることはないと決めつけていたかもしれません。
 従ってきたイエス様が昇天され、心細かった弟子たちには聖霊が注がれ、その口が神様に支配されたことにより、弟子たちは様々な反応を示す人々に対しても、語り続ける者となりました。ペンテコステが起きたその現場で、語ることを妨げるものは何もありません。聖霊は言葉の違いでさえ克服しました。

 聖霊に満たされ、弟子をはじめとする人々は大胆に語りました。そして、今日の聖書箇所の後、ペトロが長い説教を行います。ペトロは、多くのユダヤ人がいる前で「あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです」(2:23)と、人々がイエス様にしたことを大胆に説教します。しかし、数週間前までは、まさかペトロがこのように大胆に説教するとは誰も想像できなかったでしょう。
 ペトロはイエス様が逮捕された時、「遠く離れて」(ルカ22:54)イエス様に従いました。また、女中に「この人も一緒にイエスといた。彼の仲間だ。」と問い詰められ、「わたしはあの人を知らない」(ルカ22:57)と繰り返し答えてしまい、自分の至らないところに激しく泣きました。イエス様を裏切ったペトロはとても弱い存在でした。それが数週間前までのペトロでした。しかし、このペンテコステの時、ペトロはまるっきり別人にでもなったかのように大胆に説教をします。女中に問い詰められ答えることができなかった言葉を、やっと大胆に語ります。
 ペンテコステの時、聖霊はかつて臆病で弱さを抱えていた弟子たちに新しい命を吹き入れ、弟子たちを新しい人に創造しました。その新しい人は臆することなく大胆に神様のことを語るようになります。その言葉は「ガリラヤの人ではないか」、「なんだ、あいつの言うことか」と、人々に非難されても力を失うようなものではありません。
 今日、読まれたヨエル書の預言は、聖霊を受けたペトロの説教の始めにも引用されている言葉です。「わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し 老人は夢を見、若者は幻を見る」(ヨエル3:1)。ペンテコステはこのヨエルの預言の成就であると、ペトロは説教において語っています。かつては限られた預言者だけに注がれていた霊が、ペンテコステの時には、老若男女すべての人に注がれます。それぞれの人を神様が聖霊を通して用いられます。神様は私たちが考えられるよりもより多くの方法で語り、伝える方法を用意されています。若いから、歳をとっているから、私たちが感じる違いの数々は神様の前では、問題ではありません。神様のことを語る働きに私たちを用いてくださるのは神様です。そこに私たちの価値観や基準は入り込む余地もありません。
 イエス様は昇天の時、弟子たちに「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。……地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒1:8)と、語られました。ペンテコステの時、その現場にいたのはユダヤ人たちだけでしたが、その後、福音は世界に広がり、多くの人に語られてきました。あらゆる時代の中でたくさんの人々が、聖霊を注がれ新しく創造された命を輝かせて神様のことを語ってきたからこそ、この地上に教会がいくつも建てられてきました。
 教会に集う人々の歩みには不安でたまらない時もあったはずです。しかし、イエス様を信じ祈り続けた弟子たちのように、どうなるのか分からない状況にあったとしても、私たちには聖霊が注がれ、力づけられています。私たちの耳を、口を神様の力で満たしてくださる聖霊が私たちに注がれ、その聖霊は現実を取り巻いている無理解や嘲笑、対立から私たちを守り、イエス様のことを語る者として生きる新たな命を私たちに与えてくださいます。この命が私たちに吹き入れられ、イエス様のことを語ることの喜びを感じた時、私たちは聖霊を感じ取ります。

神様
 いつ何が起こるかわからない世の中で、行き詰まり、無力感に苛まれます。イエス・キリストの約束を信じ、一つに集い、祈った弟子たちのように祈ることすら今はままなりません。神様、どうぞ私たちに聖霊をお与えください。私たちに落ち着きと平安を与えてください。声をあげることもできないほどに弱くされている友を助け、励ます者として、私たちを用いてください。
 この祈りを主イエス・キリストの御名によってお献げいたします。アーメン。

page top