教会の歴史
教会の歴史
- 第1会堂
- 第2会堂
- テントの第3礼拝堂
- 第4会堂(現在の会堂)
1886年、W.R.ランバス師はアメリカの南メソジスト監督教会(注1)から宣教師として派遣され、「神戸美以教会」を創設しました。ランバス師は、関西学院、啓明学院等の創設者でもあります。
「神戸美以教会」の創設当初は、旧居留地47番地(現在の大丸の東向かいの地)を拠点とし、1887年には山二番館(現在のJR元町駅の北側)に移りました。
1888年10月に第1会堂が現在の兵庫県庁東南角に建てられ、新しい伝道の拠点となりました。
1907年、日本におけるメソジスト三派が合同したことにより、教会の名称は「日本メソジスト神戸教会」となりました。
その後、1941年の日本キリスト教団の成立時には「日本キリスト教団 神戸中央教会」となり、1942年に現在の名称である「日本キリスト教団 神戸栄光教会」となりました。
教会員の増加もあり、1923年に現在の地に移ることになり、第2会堂が建てられました。この会堂は長年にわたり多くの方々に「赤レンガの教会」として親しまれましたが、1995年の兵庫県南部大地震で全壊しました。
会堂を失った後も、毎日曜日の礼拝をテントの第3礼拝堂やパルモア学院の講堂等で欠かすことなく守り続けました。
そして、2004年10月に第4会堂を再建し、現在に至っています。
(注1)
メソジスト教会はイギリスでジョン・ウェスレーにより始められたプロテスタント教会の一つで、アメリカ合衆国はじめ世界中で活動しています。神戸栄光教会もその流れをくむ教会です。
神戸栄光教会と日本キリスト教団
神戸栄光教会は、単立の教会ではなく、包括宗教法人である「日本キリスト教団」(The United Church of Christ in Japan)に属するキリスト教の教会です。
神戸栄光教会についてよりよく知っていただくために、日本キリスト教団について少し説明をさせていただきます。
日本キリスト教団は、日本のプロテスタントでは最大の合同教派で、日本全国で約1,700の教会、19万人の信徒を擁します。
日本におけるプロテスタント諸教会の宣教活動は、江戸時代の末期に渡来した外国人宣教師によって始められ、特定の教派を形成しない方向で展開しました。やがて、明治期になって欧米の諸宣教団体の支援を受ける形で、キリスト教の様々な教派が国内に宣教活動を展開していきました。その際、各教派の間では合同教会形成の模索がなされ、また海外の教会合同の運動からも刺激を受け、最終的には第二次世界大戦下で施行された宗教団体法(国家の統制下に宗教団体を置くことを目的とする法律)を契機として、日本のプロテスタント諸教派は教会合同を決意し、1941年に日本キリスト教団が創立されました。戦後、平和と和解のために仕える合同教会として改めて再形成を図るべく、その歩みを今日まで続けています。
神戸栄光教会は合同教会に属するものとして諸教会の一致と多様性を重んじています。
宗教改革の流れを汲み、使徒信条等のキリスト教の基本信条を奉じる正統的プロテスタント教会です。 安心して、お越しください。