「野の羊飼いたちに」
更新日: 2014.04.07
2013年 クリスマス・イヴ賛美礼拝
イザヤ書9章1, 5-6節 ルカによる福音書2章1-20節
牧師 野田 和人
「そのころ皇帝アウグストゥスから全領土の住民に登録をせよとの勅令が出た。」ユリウス・カエサルの甥として生まれ、養子に迎えられたオクタヴィアヌスは、ユリウスの野望も受け継ぎ、政敵を次々と倒し、ついに最初のローマ皇帝の座に就きました。その業績のゆえに、彼は元老院から「アウグストゥス」―尊厳なる者との称号を与えられ、ここから、その後何世紀にも亘るローマ帝国の支配―ローマの平和/パクス・ロマーナが始まりました。彼は当時も、そして後の時代も「平和をもたらした救世主」「力ある神」としてその栄光を称えられる存在となったのです。
ルカによる福音書は、そのアウグストゥスの治世下、天使が現れ、栄光と平和を賛美したことを物語っています。けれどもその賛美は、華麗な都ローマに座する皇帝アウグストゥスの上にではなく、ローマを遠く離れた帝国の属州ユダヤの片隅にある寒村、ベツレヘム近郊の野に響いたのでした。それを聞いたのは、その地方で野宿をしながら徹夜で羊の群れの番をしていた羊飼いたちでした。宗教的・政治的指導者ではなく、また東方の学者たちのように熱心に求めていた者たちでもありませんでした。夜通し危険と隣り合わせの中、ただ黙々と群れの羊に気を配ることに時間を費やしていた羊飼いたち。貧しく、身分の低い、社会の枠組みからは遠ざけられていた存在。しかし天使の声を聞くことのできる素朴でしなやかな心を持った彼ら羊飼いたちの上に、人類で最も早く救い主の誕生が告げ知らされたのでした。
彼らに告げられた天使の声をもう一度聞きましょう。「恐れるな。わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」彼らにとっての救いと平和のしるしは、今強大な権力を手にして帝国に君臨しているアウグストゥスがそれなのではなく、この世のどこにも枕する所なく、貧しくみすぼらしい、家畜小屋の飼い葉桶の中に寝かせられている赤子こそ、そうであると天使は告げたのでした。この飼い葉桶の乳飲み子イエスこそが救いと平和のしるしであり、この他には何のしるしもない、神の栄光と地上の平和は、その業績ゆえに尊厳なる者との称号を与えられたアウグストゥスにではなく、この小さく弱いしるしに結晶しているというのです。私たちはここにクリスマスの奇跡を見ることができます。そして、この出来事を告げ知らされたのが、誰もがまさかと思うところ、誰もが遠ざけ、関心を示さなかったところから、すなわち野の羊飼いたちからだったというところに私たちはクリスマスのもう一つの奇跡を見ます。貧しく、身分の低い、当時の社会の中心からは最も遠いところにいた彼ら羊飼いたちに対して直接、「あなたがたのために救い主がお生まれになった」と告げられた。彼らは自分に向けて語られたこの天使の声に本気で耳を傾け、その言葉を真に受けてこの出来事の現場であるベツレヘムへと急ぎました。そして知らされた通りの救いのしるしを、家畜とエサの臭いの染み付いた飼い葉桶に寝かされている幼子を見たのでした。
幼子は彼ら同様何一つ着飾ってはいませんでした。「ああ、本当に私たちのために救い主がお生まれになった。」彼らが自分たちのすべてが受け入れられていると感じた瞬間ではなかったでしょうか。困難、不安、悲しみ、試練、そして罪、すべてはこの飼い葉桶の幼子イエスによって担われ、受け入れられている。「主は近い!」と感じた瞬間ではなかったでしょうか。彼らは飼い葉桶の傍らで与えられたこの大きな喜びを胸にあふれさせて、人々に知らせてまわりました。「力ある神」「平和の君」の到来の現実を。そして私たちにも知らせてまわりました。
「今日、ダビデの町にあなたがたのために救い主がお生まれになった。」他でもないあなたのために、困難や不安、悲しみ、試練のうちにあるあなたやあなたが愛する人、あなたが失った人のために救い主がお生まれになった。私たちすべては今日再びこの天使の声を聞いています。「風雨にさらされ、ボロボロになったこの飼い葉桶には、クリスマスの輝きがある。それを知ることのできる人は、たちまちそれに心を奪われるだろう。」羊飼いたちはくすんだ飼い葉桶の輝きに気づきました。東方の学者たちも気づきました。私たちも気づくことができると思います。