牧師メッセージ

2017年クリスマス礼拝メッセージ 「ひとりのみどりごの平和」

更新日: 2018.02.03

神戸栄光教会創立131年 クリスマス礼拝メッセージ 「ひとりのみどりごの平和」

聖書:イザヤ書9章1,5‐6節,ルカによる福音書2章1‐20節  牧師:野田和人

 

「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。」(イザヤ9:5)の直前にある言葉はこうです。「虐げる者の鞭をあなたは折ってくださった。地を踏みならした兵士の靴、血にまみれた軍服はことごとく火に投げ込まれ、焼き尽くされた」(イザヤ9:3-4)。虐げる者の鞭が折られ兵士の靴も軍服もことごとく焼き尽くされた後、ひとりのみどりごが生まれる、と預言者イザヤは語るのです。みどりご‐生まれたばかりの赤ん坊、全く無防備と言っていいその赤ん坊の肩に、私たちの敵意、争い、妬み、憎しみ、不和、傲り、貪欲の全てが焼き尽くされた後に現れ出てくる権威があり、その無防備な赤ん坊の名が「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」(イザヤ9:5)と唱えられると言うのです。

この箇所は、時代を限定して見ればB.C.8世紀‐7世紀にかけて、シリア・北イスラエル同盟やアッシリアに脅かされていた南ユダ王国に登場してきたヒゼキヤ王やヨシヤ王について預言者イザヤが語ったものと考えることのできるところです。ただキリスト教会では伝統的にこの預言をイザヤ書7章14節のインマヌエル預言「わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」や、平和の王による統治のヴィジョンを謳ったイザヤ書11章と相まって、もっとスパン‐時間の幅の長いもの、すなわち御子イエスの誕生までを見通すものとして捉え、「わたしたちのために生まれた」ひとりのみどりごを飼い葉桶の主と重ね合わせて見てきました。イザヤ書11章の平和のイメージは「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く」ですし、イエスさまに触れてもらうために乳飲み子を連れて来た者たちを叱った弟子たちに対して、イエスさまは「神の国はこのような者たち(乳飲み子たち)のものである」(ルカ18:16)と答えられました。ここでの「神の国」は「平和」と言い替えてもいいものです。「平和は乳飲み子たちのものである」のです。

私たちはここに、聖書の語る平和が決してパクス・ロマーナやパクス・アメリカーナなどの傲りと力の支配による平和ではなく、ひとりのみどりご、小さい子供、乳飲み子たちといった、全く無防備な者たちを通して表される平和であるということを見ることができます。

「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた」‐人間によって生まれる一人のみどりごは、しかし、神さまによって私たちに与えられる「ひとりの男の子」でした。ここに私たちの救いの秘儀があります。全能の神の限りない憐れみは、ひとりのみどりご、ひとりの男の子の形をとって私たち人間に示されました。この、人として生まれた全く無防備な神のひとり子を私たちが知り、その子と共に歩み、その子を愛して私のもの、私たちのものとしてこのひとりのみどりごの平和を私たちが生きるためには、私たちは、私たちの敵意、争い、妬み、憎しみ、不和、傲り、貪欲の全てを焼き尽くす必要があるのだということ、このことをひとりのみどりごの誕生は物語っています。

そしてこの無防備なみどりごの肩に権威があると言うのです。私たちは一つのことを知っています。この肩の上にいずれこの世界のあらゆる重荷、罪と困窮とが負わされるということを。十字架が負わされるということを。権威とはもちろんこの世の権力のことを言っているのではなく、この重荷を負う者が最後までその荷を、私たちの罪と困窮とを忍耐強く負い続けてくださることを言っています。そこにこそ権威があるのだと言うことです。みどりごは、私たちの罪と困窮とを忍耐強く負い続けるために、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」ゆえに無防備な飼い葉桶に無防備な赤ん坊として生まれて来られました。私たちは主の年2017年のクリスマスにこのことを改めて覚える必要があるのではないでしょうか。

その名は「驚くべき指導者」‐「驚くべき」とは、神が人間となる、言が肉体となる奇跡のことで、「指導者」とは、このみどりごこそがあらゆる驚くべきことの源泉であるということです。「力ある神」‐これはこのみどりごが、貧しく無力な私たちと等しい者となられた、その神の愛の力のこと、飼い葉桶の貧しさに私たちと神さまとを結びつける、私たちを神さまとの和解へと導く神の子の力があるということです。「永遠の父」‐このみどりごは神の愛以外の何ものももたらさないということ、そして「平和の君」‐このみどりごは神さまと私たち、私たち同士の間に和解をもたらすみどりごであるということです。

もしあなたとあなたの兄弟との間に、あなたとあなたの隣人との間に争いや憎しみがあるのなら、神さまがどれほど大きな愛から私たちの兄弟となってくださったか、そして神さまが私たちとどれほど和解しようとしておられるかを、飼い葉桶のみどりごの前に進み出て実際に見る必要があるでしょう。天使の声に耳を傾け、それを本気で聴いてベツレヘムの家畜小屋へと急いだ羊飼いたちのように。

「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」‐私たちはベツレヘムの飼い葉桶の傍らでそのように言い、イエスという名前にどのような意味があるのかを理解しよう試みますけれども、私たちに実際に出来ることは、人の形をとられた神の前で、その無防備さを前にして自分を退け、悔い改め、沈黙して静かに礼拝することの他はないのかも知れません。祈りましょう。

 

神さま、飼い葉桶の平和の君、ひとりのみどりごの平和を私たちが心から受け入れ、すべての人と共にその平和を分かち合うことができますように、私たち一人ひとりに主の年2017年のクリスマスの恵みを味わわせてください。愛する主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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