牧師メッセージ

2019年復活節第2主日 礼拝説教「始まりへ」

更新日: 2019.06.02

2019年復活節第2主日礼拝説教「始まりへ」

(創世記28章10~17節,ルカによる福音書24章13~35節)牧師 野田和人

 「ちょうどこの日」、そう、イエスさまが復活された週の初めの日、二人の弟子がそれとは知らずに甦りの主イエスと出会うところから物語は始まります。
 

 エルサレムから11㎞程離れたエマオという村への道を急ぐクレオパともう一人の弟子にとっては、あのナザレのイエスの遺体が彼の葬られた墓からなくなったということには、納得がいきませんでした。二人はここ数日のうちにエルサレムで起こった出来事についてはよく知っていました。彼らは、イエスという人物の語る言葉と力強い行いとを見聞きして、当時ローマの圧政の下にあった自分たちの国を、その貧しさや惨めさから引き上げて、救い出してくれるリーダーとして、「この方こそ」と信じてイエスに従い、その弟子の群れに加わったのでした。けれども彼らが目撃したのは、そのイエスがこともあろうに自分たちユダヤ人の指導者らによって十字架に釘付けにされ、殺されてしまうという無惨な現実でした。彼らの期待はあっけなく外れました。ただその後伝え聞いたところによると、処刑され、墓に葬られたはずのイエスの墓が空だったというのです。
 

 二人にとって、期待の人イエスが十字架に架けられて死んだこと、そしてそれによって自分たちの惨めさからの解放への希望が全く失われてしまったことは、確かに残念でならないことでしたが、彼らの人生の経験に照らしてみれば、それは全く想像もできない考えられないことではありませんでした。こういう失敗も起こり得ると納得はできるところだけれど、それでもやはり残念で辛い出来事には違いありませんでした。彼らの思いはそこから離れることができずに、敗北と逃走のエマオへの道すがら、話はどうしてもそのことに集中します。暗い顔になるのも無理はありません。けれどもそこで彼らにとって納得できないことがありました。墓が空だった、そこにイエスの亡き骸がなかったということです。そのことでも二人は互いに論じ合っていたのでしょう。
 

 ただいくら議論しても、彼ら自身のこれまでの経験からは、誰かがイエスの遺体を持ち去ったのだろうと考えるくらいが関の山で、空の墓の意味を理解することはできませんでした。それは二人に限ったことではなかったでしょう。そこで、空の墓の議論に終止符を打って彼らが納得できるように、ルカはこの福音書にしか記されていない「エマオ途上のイエス」の物語を置いたのです。そしてそれは、この福音書がまとめられた紀元80年代、ローマ皇帝ドミティアヌスによるキリスト教徒に対する組織的な迫害の下、危険を冒して集まってきた原始教会の信徒たちに対してまず向けられたものであったでしょうし、それが現代を生きる私たちにまで届いているということだと思います。
 

 先週のイースター礼拝では、空の墓の意味、「なかった」ことの意味について、「それは、婦人たちが見つめていた喪失と死への眼差しを、彼女らがそこから救い出されるためにご自身の身を献げ尽くされた方は、彼女らがそのようにして与えられた命を新しく生きることができるために今生きて働いておられるのだという、希望と命への眼差しへと向け変えるところにある」とお話ししました。この、喪失と死への眼差しを希望と命への眼差しへと転換する、その実況生中継がこの「エマオ途上の物語」だということができるでしょう。
 

 「イエスご自身が近づいてきて一緒に歩き始められた」とあります。出会いは突然向こう側からやってきました。「しかし二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」。これが31節では「すると二人の目が開け、イエスだと分かった」へと変えられていきます。この、「遮られていた目が開け、イエスだと分かった」出来事こそが私たちの信仰の原点、始まりであり、聖書が繰り返し語る出会いの物語なのです。
 

 創世記28章にヤコブの夢の話が出てきます。父イサクの祝福をだまし取ったことから兄エサウの怒りを買い、エサウから逃れて一人カナンからハランへと赴く途中のある夜、石を枕に野宿していたヤコブは、先端が天まで達する梯子の夢を見ます。この夢が讃美歌434番「主よ、みもとに近づかん」のテーマになったのですが、その時、夢から覚めてヤコブが発した言葉が印象的です。「まことに主がこの場所におられるのに、私は知らなかった」。まことに主がここにおられるのに、目が遮られてその主を見ることのできない魂に向けて主は語りかけられ、出会ってくださるのです。
 

 クレオパともう一人の弟子に対しても、イエスさまは「キリストは必ずこれらの苦しみを受けて栄光に入るはずではなかったか」と言われ、聖書全体を、私たち教会が旧約聖書と呼んでいる聖書全体を解き明かされたとあります。聖書はメシアの苦難からの栄光を、十字架からの復活を証ししているものだということです。この聖書の証言を通して、私たちは今も生けるキリストと出会うことができるのです。ところが私たちはこの二人の弟子と同じように、イエスさまと一緒に歩いていても、どんなに話しかけられても、それがイエスさまだとは分からない、愚かで心の鈍い存在です。けれども二人には何か引っかかるものがあったのでしょう。強いてイエスを引き留めたのでした。
 

 するとその夜の食事の席で驚くべきことが起こりました。客人であったにもかかわらず、そこで主人のように振る舞うイエスさまの言葉を、ルカは後の聖餐の用語に近い四つの言葉で極めて印象的に伝えています。「パンを取り、祝福し、それを裂き、渡された」。この時、二人の遮られていた目が開け、この見知らぬ旅人がイエスさまだと分かったのでした。あるいは、二人の目が開かれるまでイエスさまは二人と共にいてくださったのでした。イエスさまと共に着いた食卓で、命のパンをいただいた時始めて二人の目から覆いが取り除かれ、彼らは生きて働かれるキリストと本当に出会ったのでした。
 

 「まことに主がここにおられる」。その主は、生けるキリストは、その姿が二人の目の前から消えると同時に、今度は彼らの心にその姿を刻み込み、彼らの信仰の経験を形作っていったのでした。彼らは思い出したのです。あの時、あのように語られたイエスさまの言葉を。残念で辛いことだけれども、自分たちでは納得済みだったイエスの十字架の死は、その意味を遥かに超えるものであったことを。あの時にはよく分からなかったけれども、なぜか互いの心は燃えていたではないかと。この燃えあがる心をもって、聖書の証言に導かれて、二人は折り返しエルサレムへの道を急いだのでした。敗北と逃走、喪失と死から転じて、希望と命への道を辿って、そもそもの始まりへと。
 

 この「エマオ途上の物語」はエルサレムでもう一度語り直され、シモン・ペトロへの主の顕現の出来事と結びつけられて、生まれつつあるキリストの教会の財産となっていきました。私たち教会が語り継ぐべきいのちの物語、主にある和解と一致という私たちのいのちの物語となっていきました。物語は続いています。「エマオ途上のイエス」が、私たちの生の現場で、その福音の始まりから、今も私たちと一緒に歩いてくださっていることに心から感謝して、讃美歌479番「喜びは主のうちに」を賛美しましょう。
 

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