牧師メッセージ

クリスマス・イヴ賛美礼拝2020/“Eve on line 2020” メッセージ「部屋はますます明るく」

更新日: 2020.12.25

クリスマス・イヴ賛美礼拝2020/”Eve on line 2020“
メッセージ「部屋はますます明るく」     牧師 野田和人
ルカによる福音書2章1~20節

 この夜、世界中のキリスト者はイエスさまの誕生を思い起こしています。夜の暗闇の中にイエスさまはお生まれになりました。荒々しい時代にイエスさまは育たれ、多くの人々の光となられました。まずご自分のユダヤの人々のために。それから世界中の数え切れない人々のために。
 私たちは知っています。闇はただ過ぎ行くものではないことを。私たちの行動と反応のうちに、私たちの周囲の人々のうちに、また私たちの見知らぬ人々のうちにさえ、私たちは、私たちが理解することのない、隠された、脅かすものを見ます。時折、私たちの生は陰と闇に包まれます。誰か望む人がおられれば、そのような経験を分かち合ってくださるといいのですが。
 けれども、主イエス・キリストを通して、私たちは私たちがどの方向へ進むべきかの助けを見出しました。キリストのうちに、私たちは、キリストが私たちを相互理解という光の中へと導いてくださる希望を持ちます。後で、明かりをつけたクリスマス・ツリーの前に立ち、私たちはお互いを理解しようと努めるでしょう。
 私たちはこのイエスさまに従うことを望んでいます。私たちがお互いを神さまの家族の一員として理解するようになればなるほど、私たちの生き方はいっそう明るく、優しくなります。このことを私たちはかつて経験したことがあります。

 けれども、何度も何度も私たちは忘れてしまいます。多くの人は、自分の肉体的な強さ、権力や富を誇っています。多くの人は、自分たちの生活スタイルが植物や動物を苦しめる原因となっていることを気にかけません。多くの人は、自分のためにより蓄積することを欲し、貧しい人や弱い人には関心を払いません。自分が望むものを手に入れるために暴力を用いる多くの人がいます。多くの人は、他の人たちを誘惑し、その人たちが自分に依存するようにし、その人たちをゆすったり怖がらせたりして従わせようとします。そうして、そのようにする彼らも、神さまの家族の一員であることを忘れるのです。
 イエスさまの時代、それはローマ皇帝でした。私たちの両親、また祖父母の時代、それはヒトラーでした。私たちの時代、それは私たちがイエスさまの友の一人であることを私たちに忘れさせようとする、ローマ皇帝やヒトラーよりは小さな勢力です。
 イエスさまはイエスさまの友である私たちに言われました。「あなたがたは世の光である。あなたがたを見る者は誰でも、希望を感じるだろう」と。

 ルカによる福音書は、イエスさまの誕生の次第を、領地の住民から税を厳しく取り立てるために突如実施された住民登録の出来事から始めています。それは、拷問まで行われた、たいへん厳しいものでした。ヨセフとマリアがこの恐怖にどのように反応をしたのか、想像してみてください。
 彼らはローマの兵士がしていることに、ただ黙っていただけでしょうか。あるいは、兵士たちが彼らを見つけられないように、ベツレヘムの南にある砂漠へ逃れようとしていたのでしょうか。おそらく恐れから、彼らは古い歌の一節を歌っていました。「私は山々に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか」。私たちは多くの人たちから聞いて知っています。「私の助けは、天と地を造られた主から」(詩編121:1-2)。
 今日、多くの人たちがヨセフやマリアと同じような立場に立っていることを思い起こしましょう。難民、避難所を求めている人、戦争や環境破壊、飢餓や硬直した社会構造の被害者たち、それはしばしば私たちの世界経済の結果なのですが。
 私たちは何をしているのでしょうか。私たちは何を諦めているのでしょうか。私たちはどこで分かち合うのでしょうか。
 私たちの助けを経験すれば、世界中の多くの顔が喜びと笑いに輝くでしょう。そのようにして、イエスさまが私たちのための光であられるように、私たちも他の人たちに小さな光をもたらし、あるいは、他の人たちのための光となるのです。

 ルカの物語は続きます。その時、誰もヨセフとマリアを泊めようとはしませんでした。誰も難民のための場所を用意しませんでした。マリアとヨセフは馬小屋を見つけました。そこでマリアは子どもを産みました。彼らはその子に古いユダヤの名前を付けました。イエスです。この名前は「助けは神からのみ来る。そして私たちは神のもの」という意味です。
 マリアは、ルカが記しているように、喜びに満ちて真夜中に歌いました。野の羊飼いたちがそれに続きました。私たちも、イエスさまの誕生が私たちにもたらした喜びを分かち合いましょう。それは、私たちにたくさんの喜びと希望、そして、私たちがまさに必要としている助けをもたらしたからです。
 いつの日か、悪や暴力によってもたらされる苦しみは止むでしょう。いつの日か、神さまは私たちの流す苦い涙のすべてを乾かしてくださるでしょう。そしていつの日か、神さまが私たちのために造られた世界は、神さまの望まれるような世界となるでしょう。
 これが私たちの熱い希望です。

 他人や自分の中にある悪を経験した学生たちが教師に尋ねました。「先生、メシアがお出でになるとどうなるのでしょう。悪は今もこの世界にあり、このまま私たちを貪り続けようとするのでしょうか」と。
 教師は答えました。「永遠なる神さまは私たちのために祝宴を備えられます。私たちは楽園の果物を食べ、創造の初めから天の酒蔵に取り置かれているぶどう酒を飲むでしょう。あなたたちもみんな、その祝宴で小さな肉のかけらを受け取るでしょう。なぜなら、あなたたちは一生の間、忠実なるお方、神さまの近くに留まったからです。あなたたちは神さまの愛を経験し、神さまのパートナーとして贖いの霊をこの世界にもたらすことを助けました。神さまの代理人として、人々を愛し、強められて、人々を堅い殻の中から導き出し、思い上がりを打ち砕き、恐怖や疑い、憎しみから人々を自由にしました。あなたたちは悪に貪られることはないでしょう。さあ、愛する者たち、家に戻って、始めなさい」。
 「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」(ルカ2:20)。

 神さま、今宵、私たちは光の証人となっただけでなく、光を分かち合いました。私たち一人ひとりが、同じ列にいる人、あるいは前の列にいる人、後ろの列にいる人のために、キリストがお一人おひとりの生涯を照らされるようにと祈ることができますよう、お導きください。また自分のロウソクに火を灯す時、時間をとって私のために祈ってくれる人があることを覚えることができますように。
 キリストの光によって、大胆にこの世へと光を携えていき、私たちにキリストの光の内を歩ませてください。
 その光はイエスさまをゆりかごから十字架へと導いた光、そして最後にはイエスさまを輝く栄光へと導いた光であることを心に留め、その思いをもって、私たちをこの地に仕える者とならせてください。
 主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン。

参考:『世界の礼拝』(日本キリスト教団出版局)197頁~204頁
「第2部 教会暦の生活 【1】アドベント・クリスマス・エピファニー 部屋はますます明るくなる 食卓を囲んで祝うクリスマス・イブ」から抜粋。

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