牧師メッセージ

2023年6月25日(日)聖霊降臨節第5主日礼拝説教「耳をすませて」 

更新日: 2023.07.19

2023年聖霊降臨節第5主日 礼拝説教 「耳をすませて」 牧師 佐藤成美

エゼキエル書34章1節-4節 ルカによる福音書15章3節-7節 使徒言行録8章26節-31節                 

 

「主なる神はこう言われる。災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。お前たちは…追われたものを連れ戻さず、失われたものを探し求めず、かえって力ずくで、苛酷に群れを支配した。」

エゼキエルが語るこの「牧者たち」とは、ユダ王国末期の諸王のことです。彼らは自分たちを肥え太らす政策を行い、自分の群れであるイスラエルの民を養わず、苛酷な取り立てを行って、これを支配してきた、というのです。

しかし、そのようなひどい王たちを、エゼキエルは「イスラエルの牧者たち」と呼ぶのです。なぜ彼らが「牧者」と呼ばれるのか、それは、彼らの持っている王の権威が、神様に由来すると、信じられていたからです。

イスラエルにおいては、王とは単に政治的な指導者であるだけでなく、宗教的な指導者であり、神の代理人であったのです。

だからまた、イスラエルの人々は、泣く泣くではあっても、その「神の子」である「牧者」の権威に従わざるを得なかったのです。そのようにして彼ら・彼女らは、宗教者の偽の権威に引きずられてしまったのです。

そしてこのようなことは、遥か古代のユダ王国においてだけではなくて、今、この現代においても起こり得ることなのです。

だからわたしたちは、偽の権威に引きずられるという過ちに陥らないためにも、いつも聖書の言葉から、神様が何を為さろうとしているのかをよく聞き取らないといけないのです。

今日のルカ福音書は、「見失った羊」の譬え話です。神様は一匹の羊を見失ったことに心の痛みを覚えておられる、だからまた、見失った一匹を見いだすことを心から喜び祝われる、というのです。神様にとって、エチオピアの宦官もまた、見失った一匹の羊でありました。宦官の救い、そこに神様の喜びがあったのです。

だからまた、まことの牧者であるイエス・キリストは、宗教者がその権威を振り回し、自分のためにその群れを利用する、というようなことはならさらずに、自分自身が弱く、小さい者の一人になって、その見失った一匹の羊の心に届こうとされたのです。

自分が大きく立派になるのではなく、小さく弱くなることによって、見失われた小さく弱い者を見いだして行く、これが神のなさる宣教(ミッション)です。

心の耳を澄ませて、まことの牧者の声を聞き分ける、わたしたちでありましょう。

 

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