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2023年11月5日(日)降誕前第8主日礼拝説教「わたしは何者?」

更新日: 2023.11.29

降誕前第8主日礼拝説教 「わたしは何者?」 佐藤成美 牧師

聖書:創世記3:4-7, ヨハネ3:19-21, ローマ7:9-12)
創世記の中に、アダムとエバが食べてはならない善悪の知識の木の実を食べたというお話が出て来
ます。
アダムとエバは、その実を食べた時に目が開けて、善悪を知る者となったのです。「善悪を知る者
」とは、何が善いことで悪いことなのかを、まるで自分が神様にでもなったかのように自分で判断す
る、そういう者になった、ということです。
そのようにしてわたしたち人間は、それぞれがそれぞれなりに、ことの善し悪しを、神様抜きで判
断して生きています。
ところが問題は、そうやってわたしたち人間が自分勝手にことの善し悪しを判断する時に、その判
断の基準(=「はかり」)が絶対的なものではない、ということです。だからある人にとっての「善
」が、他の人には「悪」となるのです。人間は「はかり」であった神様を失ってしまったのです。
そして、新しい「はかり」となるべき神の言葉(=律法)ももはやその役目を果たせない、とパウ
ロは語ります。新しい「はかり」となるべき律法は、罪の力によって、今や人間を滅びへと誘惑する
ものとなってしまったのです。
だからヨハネ福音書は、今や神の言が光としてこの世にやって来た、と語るのです。
ところがやってきた神の言葉に対して、人間はその光の方に来ず、闇の方を好みました。なぜなら
ば人間は、自分が神様のまことの光(=はかり)に照らされて、自分の本当の姿が明らかにされるこ
とを、恐れたからです。
そしてヨハネ福音書は、人間が闇にとどまっていること自体がすでに「裁き」になっている、と言
うのです。なぜならば、神の光に照らされることが、実は「救い」であるからです。
この「わたし」が神の光に照らされるということは、「わたし」のありのままがイエス・キリスト
に知られる、ということです。「わたしはあなたのすべてを照らし、知っている。でもわたしはあな
たを裁かない。わたしはあなたを赦す。だからあなたは、他の人が何と言おうとも、しっかりそこで
生きなさい。わたしがあなたを知っている」、そうキリストはおっしゃってくださるのです。
わたしが誰であるのか、善い者なのか悪い者なのか、「はかり」を失った人間には、それすらも分
かりません。だけれども、ただ主である方だけが、このわたしのすべてを知っていてくださるのです

(神戸栄光教会 佐藤成美牧師 11月5日礼拝説教より)

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