牧師メッセージ

2023年4月2日(日)受難節第6主日礼拝説教「主に倚りかかる」

更新日: 2023.07.19

2023年受難節第6主日 礼拝説教「主に倚りかかる」 牧師 佐藤成美

聖書:イザヤ56章3節-4節,7節 ルカによる福音書23章39節-43節, ヘブライ人への手紙10章8節-10節

 

もう20年以上も前になりますが、詩人の茨木のり子さんが『倚りかからず』という詩集を出されました。

タイトルにもなった「倚りかからず」という詩の中で、茨木さんはこのように詠っています。「もはやできあいの思想には倚りかかりたくない、もはやできあいの宗教には倚りかかりたくない、…ながく生きて心底学んだのはそれぐらい」と。

この詩集は好きなのです。だけれども、今日の聖書の個所を読んでいると、そのいずれもがわたしたち人間に、「倚りかからず」ではなくて、「倚りかかりなさい」、そう勧めているように思えるのです。

今日のイザヤ書には、こう書かれています。「主のもとに集って来た異邦人は言うな。主は御自分の民とわたしを区別される、と。宦官も、言うな。見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。…わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き、わたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。」

主なる神様が顧みて救われるのは誰か、それは、選民であることを鼻にかけて、異教の神々を拝んでいるイスラエルの民ではない。そうではなく、たとえ異邦人であっても、宦官であっても、ただわたしに身を寄せ、その言葉を聞いて生きる者を、わたしは豊かに顧みる、そう神様は言われるのです。

今日のルカ福音書のお話も、イエスに倚りかかる以外になかった人の姿を描いています。

イエスと共に十字架につけられた犯罪人の一人は、このように言います。「我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことはしていない。…イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」

すると、この犯罪人に向かってイエスは言われました。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と。

「はっきり言っておく」とは、ギリシア語の「アーメン」です。つまり、「その通り」ということです。「あなたはその言葉によって救われた、あなたの言う通り、あなたはわたしと共に神の国に入るのだ」、倚りかかる犯罪人に、イエスはそう宣言されたのです。

今から30年近くも前、当時東京にいたわたしの友人が亡くなろうとしているその時に、彼の母親が言いました。「息子のために祈ってください。わたしは祈りたくても、祈る相手を持っていないのです。」

「祈る相手を持っていない」ということは、人生のその最も厳しい時に、悲しい時に、辛い時に、倚りかかる相手をもっていない、ということです。それがわたしたち人間にとって、いかに心細いことか。

ですからわたしたちは、あの異邦人や宦官や十字架の上の犯罪人のように、自分の人生の危機の時に倚りかかる相手をしっかりと持っておきたいのです。

そして倚りかかったわたしたちを、イエス・キリストはしっかりと支えてくださるのです。

 

page top