2023年5月28日(日)聖霊降臨節第一主日ペンテコステ礼拝説教「文字は殺し、霊は生かす」
更新日: 2023.07.19
2023年聖霊降臨節第一主日ペンテコステ礼拝説教「文字は殺し、霊は生かす」 牧師 佐藤成美
創世記11章4節-8節 ルカによる福音書11章9節-13節 使徒言行録2章1節-4節
人からかけられたその一言によって慰められ、励まされた、あるいはまたその反対に、人から言われたその一言が心に刺さって傷ついた、皆さん、そのような経験をされたことがおありのことと思います。
そのようにして、言葉は人を生かすものにもなれば、人を傷つけ「殺す」ものにもなるのです。
「バベルの塔」のお話によれば、その昔、人はたった一つの言葉をしゃべっていました。そして、その言葉を使って人は、天まで届く塔を作ろうとしたのです。
「天まで届く塔を作る」とは、人間が自らを神と等しい者にすること=自己神化を意味しています。だから神様はこれを脅威に感じて、人の言葉をばらばらにされたのです。このようにこのお話では、言葉を使う人間の願望が原因となって、人間が自己神化=偶像崇拝に陥るのです。
これに対して、今日の使徒書のお話を見てみますと、イエスの弟子たちはペンテコステの日に、聖霊の力を受けて、様々な国の言葉で「神の偉大な業」を語りだした、というのです。人間の言葉が聖霊の力を受けることによって、人々に神の救いの業を証しするものとして用いられたのです。
このように人間の言葉は、そこに悪い力が働くときには「悪魔の手先」となり、聖霊が働くときには「神の使い」となるのです。
だから使徒パウロも、「文字は殺し、霊は生かす」(Ⅱコリント3:6)と語ったのです。神の教えであるはずの律法が文字となり、規則となった時、それは人を縛り「殺す」ものとなる、しかしそこに聖霊が働く時には、それはイエス・キリストを証しする「活きた神の言葉」となり、人を生かすものとなる、というのです。
わたしたちも、自分の言葉が人を傷つける「悪魔の手先」となるのではなくて、人を慰め、励まし、生かす「神の使い」となるように、聖霊の働きを祈り求めて行きましょう。