2023年7月2日(日)聖霊降臨節第6主日礼拝説教「素顔のままで」
更新日: 2023.07.19
2023年聖霊降臨節第6主日 礼拝説教「素顔のままで」 牧師 佐藤成美
ルツ1章15節-16節 ルカによる福音書17章14節-19節 使徒言行録11章15節-17節
神様が天地万物を創造された後のことを、創世記はこのように記しています。「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」
この言葉によるならば、わたしたち人間はすべて、神様の目に「極めて良い」ものであり、神様の祝福を受けたものなのです。
そして、すべての人々に神様の祝福を伝えるための「祝福の源」として、神様はアブラハムやイスラエル民族を立てたと、旧約聖書は語るのです。
ところが、このようなすべての人々に対する神様の祝福についての理解は、イスラエル民族がバビロン捕囚を経験して以降、次第に変化して行きます。イスラエル民族は、自らを神に選ばれた「選民」、異邦人を「穢れた者」と見做すようになって行ったのです。
そのような状況の中、初代教会のペトロやパウロは、すべての人々に祝福を与える源として、今や神様はイエス・キリストをお立てになったのだと、証ししました。
今日の使徒言行録のお話において、ペトロはこう語ります。「こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼ら(異邦人)にもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができましょうか。」
しかし異邦人に対する偏見が横行する中で、すべての人々に対する神様の祝福を伝えようとする初代教会の歩みは、とても厳しい闘いの歩みとなりました。
そして、あのLGBTQ法の成り立ちなどを聞く時にわたしたちは、今もなお教会がその闘いの中に置かれていることを知らされるのです。
イエス・キリストにおいて神様は、たとえそれがどんな人間であったとしても、どんな民族の、どんな性自認を持っている人であったとしても、素顔のままのその人を「極めて良いもの」と見做して、祝福しようとしてくださっているのです。
わたしたちもそのことを、この世に向かってしっかりと証しする者でありたいのです。